金融行政の軸足を債務者に
記者の視点 モラトリアム 山田厚史(be編集グループ)
 亀井静香金融相が打ち上げた「借金モラトリアム」は、金融行政の盲点にいる「弱い債務者」に照準を合わせた。貸手である銀行にあった行政の軸足を「金融消費者」に移すのは時代の流れといえる。
 日銀統計によると全国145銀行の中小企業融資残高は7月末で177兆円。統計が始まった00年10月は229兆円だった。9年で52兆円減っている。どこに流れたのか。国債である。00年1月は48兆円だった銀行の国債運用はこの7月末で113兆円。65兆円も増加した。
 公的資金を注いだのは「銀行経営を助ける」のではなく「金融システム」を守るためと説明されてきた。産業の血液を毛細血管にまで流す。それが公的資金の大義だった。
 だが銀行は貸し渋り、安全な国債に逃げた。何が起きたか。「倒産件数は毎月1300件。今年に入って負債lOO億円以上の倒産の36%は資金手当てできない黒字倒産です」(友田信男・東京商工リサーチ情報部上席部長)。
 経営判断に委ねれば銀行は身を守るため貸し渋る。政策誘導が必要な局面である。
 銀行が3年ほど元本を据え置くのは無理なことではない。金利が入ることが大事なのだ。法律が出来て当局に指図され、経営の自由度が狭められるのはイヤだろう。ならば公的資金とは何だったのか。国が大株主になる「異常」な政策を受け入れたのは銀行自身だった。危なくなった時は「異常」もOKだが、債務者の危機なら関係ない、というのは理屈に合わない。
 米国ではサブプライム危機で返済できなくなった人が住宅から追い出されない政策がとられている。住宅金融公社がローンを安値で買い取り、その価格で低利の住宅ローンに切り替えて家主に提供する。元本も金利も安くなる。
 英国では住宅ローンが返済できない債務者に最長2年間利払いを延期するなどの支援策が4月から始まった。フランスには返済困難な個人が、地域の調停機関で返済延期や金利減免などができる。
 日本ではバブル崩壊のように政策や銀行に問題があった時でも、債務者は「自己責任」が問われ救済されることはなかった。返済猶予や金利減免は「恥ずべきこと」のように言われる。銀行保護に重点を置いた戦後の金融制度が庶民まで洗脳したのだ。だから整理回収機構などがローン債権を安く買い取っても債務者に恩恵はない。買い取り額を伏せ、買い取り前の元利を取り立てる回収が横行する。
 銀行主導の提案型融資で債務者に損害が出ても貸手責任は問われない。返済出来なければ翌日から14%の延滞金利が課せられる。銀行優位の慣行に零細債務者は泣かされて来た。政権交代は、その力関係を変える好機なのだ。
《出典》朝日新聞 (21/10/04) 前頁      次頁