余録
子どもの羞恥心やプライドを踏みにじっていないか
 街角で、小学校1、2年生の男の子が親とけんかしていた。男の子は意地を張っている。ふくれ面をして、その場を動こうともしない。
 「いつまでもそんなことばかり言って。置いていってしまいますよ」。そう言って両親は歩きだした。男の子はなおその場に立ち続けている。距離が開いた。やがて男の子は我慢できなくなって、親を追いかけて走りはじめた。父親は振り返ることなく、男の子が追いついた時点で一緒に走りだした。
 こうして父は息子を自然に迎え入れた。それを見て精神科医、春日武彦さんは感心した。おどけた様子で一緒に走ることで息子の顔を立て、「いちいち言わないけど、自分が悪かったことは自覚してるよな」という父から子へのコミュニケーションが成立している。
 仮に父親がくどくど正論を並べたら、息子は反発するだろう。子どもにもプライドがあり、羞恥(しゅうち)心がある。教育熱心とかしつけに厳しいといった家の子どもが暴発するとき、その気がないのに親が子どもの顔をつぶし続けた可能性があると疑ってみるべきだと春日さんは言う。
 先生もそうだ。親から見れば熱心な先生かもしれないが、子どもにとっては羞恥心やプライドを踏みにじる名人かもしれない。だが、プライドを傷つけられても、子どもは自分の気持ちを語るだけの能力がない。こうして言葉になりにくい部分は切り捨てられ、通俗的な正論だけ取りざたされる。
 春日さんの「子どものプライドを踏みにじるな」(「息子を犯罪者にしない11の方法」草思社)を読んで、はるか遠い昔の記憶がおぼろげによみがえった。確かに子どもには大人のような、いや大人以上のプライドがある。大人が忘れているだけだ。親や教師の聞き取りをもとに「キレる子」実態調査が始まる。大人ではなく元子どもの意見が欲しい。
《出典》毎日新聞 (12/08/25) 前頁      次頁