茨木のり子さんの詩集『倚りかからず』
天声人語
 ここ数日、一冊の本を前に、ぼうせんとしている。
ただ、圧倒されているのだ。
茨木のり子さんが七年ぶりに出した詩集『倚りかからず』(筑摩書房)である

 もはや
 できあいの思想には倚りかかりたくない
 もはや
 できあいの宗教には倚りかかりたくない
 もはや
 できあいの学問には倚りかかりたくない
 もはや
 いかなる権威にも倚りかかりたくはない
 ながく生きて
 心底学んだのはそれぐらい
 じぶんの耳目
 じぶんのニ本足のみで立っていて
 なに不都合のことやある
 倚りかかるとすれば
 それは
 椅子の背もたれだけ

 これが、本のタイトルにもなっている「倚りかからず」である。精神の背骨が、ぴんと伸びている。日本語が、みごとに結晶化している。むずかしいことばは、一つもない。だから、よくわかる。わかるから、圧倒される
 茨木さんは、いま七十三歳。自分がかりにそこまで生きられたとして、「倚りかからない」ことを心底学べるだろうか。「なに不都合のことやある」と言い切れるか。「できあいの」思想や宗教や学問の背もたれに、相変わらず倚りかかっているのではなかろうか。どうしても、そんな思いにさせられる
 実は、勇を鼓して茨木さんを訪ね、話をうかがった。「外国の詩人が、詩とは思想を果物のように食べさせるものだ、と言いました。詩には、思索の美しさ、ものを考えることの美しさがあると思います。でも、日本の詩歌の歴史には、それが欠落していたと思うんです。それを埋めたいという感じが、生意気なんですが、ずっとありました」
 穏やかは口調だけれど、語る内容は激しい。詩集に盛られた作品は十五編。決して叫ぶことはとなく、とても静かに、読む者の心をつかみ、えぐる。6Bか4Bの鉛筆で、茨木さんは詩を書く。柔らかな鉛筆から、とびきり硬質の結晶が生まれる。
《出典》朝日新聞 (11/10/18) 前頁      次頁