東京の空が危ない
強酸性、局地的な「微雨」
春から夏にかけて東京の空に、奇妙な綿雲の列が現れる。
幹線道路である環状7号線や環状8号線に沿って生じることから、「環七雲」とか、「環八雲」とも呼はれる。

日本気象学会会員で、雲の写真家でもある塚本治弘さん(59)は、自宅そばの武蔵野市のビルの屋上で雲の到来を持っていた。梅雨空が久しぶりに晴れ上がった1969年8月28日のことだ。
突然、東の空に、見たことのない雲が並んでいた。環状7号線の上空付近だった。まるで、カルガモの行列のように見えた。不思議な雲に驚いた。あちこちの資料を調べた。どこにも行列雲の説明はない。塚本さんはひたすら写真を撮り続けた。

やがて、この雲は武蔵野市により近い環状8号線の上空にも出現し始めた。85年ごろのことだ。塚本さんは89年、この雲を気象専門誌に発表した。テレビ局の依頼で、ヘリコプターに乗って雲に突っ込んでみたことがある。「とにかく臭かった。交通渋滞の中にいるみたいで、排ガスを吸い込んだような悪臭でした」目がちかちかして痛み、のどもひりひりした。塚本さんは「環境汚染雲」だ、との確信を深めた。

車の排ガスや放熱、それにビルの空調設備からの放熱・・・。都心のヒートアイランド現象は上昇気流を生む。気流に巻き込まれた汚染物質の粒子が「核」となり、雲が生まれる。そんな見方が定着している。

いま、雲に加えて、雨も注目を浴びている。
局地的で、傘をさすまでもなく、そのうち降りやむ。「微雨」と呼はれる。雨量は0.5㍉未満。表記上は0.0㍉とされる。塚本さんに気象庁(千代田区)の観測デー夕を分析してもらったら、都心の微雨は80年代に比べ、90年代に3割ほど増えた。

気にもならないような雨だが、衣服が乾いた時に、異変が生じる。染みになっていたり、変色したりしているのだ。しかも、落ちにくい。衣料品業界やクリーニング業界を悩ませ始めているという。微雨は、降り始めの酸性度が特に強い。
酸性、アルカリ性を表す単位に、水素イオン濃度指数(pH)がある。「7」が中性で、「0」に近づけは、酸性度が強い。大手町で降った微雨を都が調べたら、雨粒の一部はpH1.2~1.8を示したことがある。食酢のpH3.2を上回る強酸性の数値である。武蔵野市は95年、市内で降り始めの微雨から食酢並みのpH3.3を検出している。微雨がどうして発生するのか。はっきりしない。しかし、推論はされている。
汚染物質の微小粒子が雲の核になり、空中の窒素酸化物などを取り込む。それが強酸性の雨になる、という見方だ。

環七、環八雲の発見者、塚本さんも5年前から酸性雨を自宅で調べている。最近、酸性雨の分析で、妙な現象に気づいた。
特定の風向きの日に酸性雨中の塩素の数値が高く出た。「最初は空気中の海塩のためかと思った」。しかし、風上に、都の大型ごみ焼却場があった。ダイオキシンが脳裏に浮かんだ。

市民グループ「環境クラブ」(目黒区)の増山博黍代表(38)たちは酸性雨の簡易測定法の開発を進めている。
大気を分析するには、サンプリングが難しい。しかし、ダイオキシンは空気中の微小粒子に付着しており、雨とともに地上に落ちる。そこで、地表の土を分析するやり方だ。
ダイオキシンやPCB、DDTなど有機塩素化合物をまとめて測れる。「塩素を含む汚染物質の分布の傾向が分かる」と増山さんは期待する。

東京の空には、さまざまな化学物質が浮遊している。光化学スモッグの被害者は今年、過去14年間で最多の300人を超えた。それが何を意味しているのか。
大気汚染の中身も、時代とともに、様変わりしているのかもしれない。


環状8号線の上空に行列のように発生した「環八雲」。遠方の雲は環状7号線上の「環七雲」だ。塚本さんは、自動測定できる装置で20年余り前から観測を続けている=武藤野市吉祥寺南町の塚本さん方で(超広角レンズ使用)

《出典》朝日新聞 (10/11/18) 前頁      次頁