1月17日は忘れない
1.17人類の安全と共生を考える兵庫会議
一瞬にして私たちの街が崩壊した。家族を、友人を、財産を失ってはじめて、築き上げてきた近代都市の脆(もろ)さをかみしめた。
技術の不足も、社会の不備もあっただろう。しかし、それらを過信し、危機感をもてなくなっていた、私たちの中の油断をまず、悔やまなければならない。
明日の安全は、個人の意識に始まる。
そして、生産だけにとどまることなく、生み出されたものを有効に、安全に使いこなせる社会を、皆で模索していかなければならない。
過盛な現実の中から、声を掛け合い、助け合い、立ち上がってきた。

社会の基盤を失った被災地で、復興の原動力となったのは、家族や、地域の、身近な人々のつながりだった。
瓦礫(がれき)の山を前にした私たちに、日本中、世界中から届いた、ボランティアの精神。再び前へと進む勇気をもたせてくれた。

地域も企業も国をも越えた、大きな力に気付かせてくれた。
人と人とがつながっているということは、なんと心強いのだろう。人と人とがつながっているということは、どんなに大きな力となるのだろう。

もとの生活を取り戻し、経済が復興しても、危機感だけは失わぬよう、たゆまぬ努力を続けよう。
6000人を超える亡くなった人々への鏡魂のためにも、いまだ生活の基盤が整わない人々のためにも、忘れるわけにはいかはい。

ただひたすらに走り続ける競争の時代ではない。行政組織も、営利組織も、非営利組織も教訓を生かして、防災性の高いまちづくりに努力を続けなければならない。
現実をしっかりと見つめ、生きていこう。自然への畏敬(いけい)を胸に抱き、人としての生活を尊重して、確かな人の輪を、築いていきたい。

豊かな明日のために、今日を真剣に生きていこう。

私たちは、1995年1月17日午前5時46分、阪神・淡路地方を襲った大震災の体験を教訓として、すべての都市が、安心して住める安全な都市として再生することに貢献し、世界に協力の輪を広げていきたい。 1998年1月17日
《出典》朝日新聞 (10/01/17) 前頁      次頁