◀前 【14.憲問:第18】 次▶
子貢曰。管仲非仁者與。桓公殺公子糾。不能死。又相之。子曰。管仲相桓公。覇諸侯。一匡天下。民到于今受其賜。微管仲。吾其被髪左衽矣。豈若匹夫匹婦之爲諒也。自經於溝瀆而莫之知也。
こういわく、かんちゅう仁者じんしゃあらざるか。桓公かんこうこうきゅうころすに、するあたわず。またこれたすく。のたまわく、かんちゅう桓公かんこうたすけて、諸侯しょこうたらしめ、てんいっきょうす。たみいまいたるまでく。かんちゅうなかりせば、われはつこうむり、えりひだりにせん。ひっひっまことすや、みずか溝瀆こうとくくびれてこれるものきがごとくならんや。
子貢がいった。――
「管仲は仁者とはいえますまい。桓公が公子糾を殺した時、糾に殉じて死ぬことができず、しかも、桓公に仕えてその政を輔佐したのではありませんか」
先師がこたえられた。
「管仲が桓公を輔佐して諸侯連盟の覇者たらしめ、天下を統一安定したればこそ、人民は今日にいたるまでその恩恵に浴しているのだ。もし管仲がいなかったとしたら、われわれも今ごろはてきの風俗に従って髪をふりみだし、着物を左前に着ていることだろう。管仲ほどの人が、小さな義理人情にこだわり、どぶの中で首をくくって名もなく死んでいくような、匹夫匹婦のまねごとをすると思ったら、それは見当ちがいではないかね」(下村湖人『現代訳論語』)