◀前 【09.子罕:第10】 次▶
顔淵喟然歎曰。仰之彌高。鑽之彌堅。瞻之在前。忽焉在後。夫子循循然。善誘人。博我以文。約我以禮。欲罷不能。既竭吾才。如有所立卓爾。雖欲從之。末由也已。
顔淵がんえんぜんとしてたんじていわく、これあおげばいよいよたかく、これればいよいよかたし。これればまえり、忽焉こつえんとしてしりえり。ふう循循じゅんじゅんぜんとしてひといざなう。われひろむるにぶんもってし、われやくするにれいもってす。めんとほっすれどもあたわず。すでさいつくす。ところりてたくたるがごとし。これしたがわんとほっすといえども、きのみ。
顔淵がため息をつきながら讃嘆していった。――
「先生の徳は高山のようなものだ。仰げば仰ぐほど高い。先生の信念は金石のようなものだ。ればるほど堅い。捕捉しがたいのは先生の高遠な道だ。前にあるかと思うと、たちまち後ろにある。先生は順序を立てて、一歩一歩とわれわれを導き、われわれの知識をひろめるには各種の典籍、文物制度をもってせられ、われわれの行動を規制するには礼をもってせられる。私はそのご指導の精妙さに魅せられて、やめようとしてもやめることができず、今日まで私の才能のかぎりをつくして努力して来た。そして今では、どうやら先生の道の本体をはっきり眼の前に見ることができるような気がする。しかし、いざそれに追いついてとらえようとすると、やはりどうにもならない」(下村湖人『現代訳論語』)