◀前 【03.八佾:第23】 次▶
子語魯大師樂曰。樂其可知也。始作翕如也。從之純如也。皦如也。繹如也以成。
大師たいしがくかたりていわく、がくるべきなり。はじおこすに翕如きゅうじょたり。これはなちて純如じゅんじょたり。皦如きょうじょたり。繹如えきじょたり。もっる。
先師が魯のがく長に音楽について語られた。――
「およそ音楽の世界は一如の世界だ。そこにはいささかの対立もない。まず一人一人の楽手の心と手と楽器が一如になり、楽手と楽手とが一如になり、さらに楽手と聴衆とが一如になって、翕如きゅうじょとして一つの機をねらう。これが未発の音楽だ。この翕如たる一如の世界が、機熟しておのずから振動をはじめると、純如じゅんじょとして濁りのない音波が人々の耳を打つ。その音はただ一つである。ただ一つではあるが、そのなかには金音もあり、石音もあり、それぞれに独自の音色を保って、決しておたがいに殺しあうことがない。皦如きょうじょとして独自を守りつつ、しかもただ一つの音の流れに没入するのだ。こうして時がたつにつれ、高低、強弱、緩急、さまざまの変化を見せるのであるが、その間、厘毫りんごうのすきもなく、繹如えきじょとしてつづいて行く。そこに時間的な一如の世界があり、永遠と一瞬との一致が見出される。まことの音楽というものは、こうして始まり、こうして終るものだ」(下村湖人『現代訳論語』)