◀前 【03.八佾:第22】 次▶子曰。管仲之器小哉。或曰。管仲儉乎。曰。管氏有三歸。官事不攝。焉得儉。然則管仲知禮乎。曰。邦君樹塞門。管氏亦樹塞門。邦君爲兩君之好。有反坫。管氏亦有反坫。管氏而知禮。孰不知禮。
子曰く、管仲の器は小なるかな。或ひと曰く、管仲は倹なるか。曰く、管氏に三帰有り。官の事は摂ねず。焉んぞ倹なるを得ん。然らば則ち管仲は礼を知れるか。曰く、邦君は樹して門を塞ぐ。管氏も亦た樹して門を塞ぐ。邦君は両君の好みを為すに反坫有り。管氏も亦た反坫有り。管氏にして礼を知らば、孰か礼を知らざらん。
先師がいわれた。――
「管仲は人物が小さい」
するとある人がたずねた。――
「管仲の人物が小さいとおっしゃるのは、つましい人だからでしょうか」
先師がいわれた。――
「つましい? そんなことはない。管仲は三帰台というぜいたくな高台を作り、また、家臣をおおぜい使って、決して兼任をさせなかったぐらいだ」
「すると、管仲は礼を心得て、それにとらわれていたとでもいうのでしょうか」
「そうでもない。門内に塀を立てて目かくしにするのは諸侯の邸宅のきまりだが、管仲も大夫の身分でそれを立てた。また、酒宴に反坫を用いるのは諸侯同士の親睦の場合だが、管仲もまたそれをつかった。それで礼を心得ているといえるなら、誰でも礼を心得ているだろう」(下村湖人『現代訳論語』)