◀前 【03.八佾:第08】 次▶子夏問曰。巧笑倩兮。美目盼兮。素以爲絢兮。何謂也。子曰。繪事後素。曰。禮後乎。子曰。起予者商也。始可與言詩已矣。
子夏問いて曰く、巧笑倩たり、美目盼たり、素以て絢を為すとは、何の謂いぞや。子曰く、絵事は素を後にす。曰く、礼は後なるか。子曰く、予を起す者は商なり。始めて与に詩を言うべきのみ。
子夏が先師にたずねた。――
「笑えばえくぼが愛くるしい。
眼はぱっちりと澄んでいる。
それにお化粧が匂ってる。
という歌がありますが、これには何か深い意味がありましょうか」
先師がこたえられた。
「絵の場合でいえば、見事な絵がかけて、その最後の仕上げに胡粉をかけるというようなことだろうね」
子夏がいった。――
「なるほど。すると礼は人生の最後の仕上げにあたるわけでございましょうか。しかし、人生の下絵が立派でなくては、その仕上げにはなんのねうちもありませんね」
先師が喜んでいわれた。――
「商よ、おまえには私も教えられる。それでこそいっしょに詩の話ができるというものだ」(下村湖人『現代訳論語』)