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子夏問曰。巧笑倩兮。美目盼兮。素以爲絢兮。何謂也。子曰。繪事後素。曰。禮後乎。子曰。起予者商也。始可與言詩已矣。
子夏しかいていわく、巧笑倩こうしょうせんたり、美目びもくはんたり、もっあやすとは、なんいぞや。のたまわく、かいのちにす。いわく、れいのちなるか。のたまわく、われおこものしょうなり。はじめてともうべきのみ。
子夏しかが先師にたずねた。――
「笑えばえくぼが愛くるしい。
眼はぱっちりと澄んでいる。
それにお化粧けしょが匂ってる。
という歌がありますが、これには何か深い意味がありましょうか」
先師がこたえられた。
「絵の場合でいえば、見事な絵がかけて、その最後の仕上げにふんをかけるというようなことだろうね」
子夏がいった。――
「なるほど。すると礼は人生の最後の仕上げにあたるわけでございましょうか。しかし、人生の下絵が立派でなくては、その仕上げにはなんのねうちもありませんね」
先師が喜んでいわれた。――
しょうよ、おまえには私も教えられる。それでこそいっしょに詩の話ができるというものだ」(下村湖人『現代訳論語』)