【03.八佾:第21】

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哀公問社於宰我。宰我對曰。夏后氏以松。殷人以栢。周人以栗。曰使民戰栗。子聞之曰。成事不説。遂事不諫。既往不咎。
哀公あいこう、社しゃを宰さい我がに問とう。宰さい我が、対こたえて曰いわく、夏后氏かこうしは松まつを以もってし、殷人いんひとは柏はくを以もってし、周人しゅうひとは栗くりを以もってす。曰いわく、民たみをして戦栗せんりつせしむと。子し、之これを聞ききて曰いわく、成事せいじは説とかず、遂事すいじは諫いさめず、既き往おうは咎とがめず。
哀公あいこうが宰さい我がに社の神木についてたずねられた。宰我がこたえた。――
「夏かの時代には松しょうを植えました。殷いんの時代には柏はくを植えました。周の時代になってからは、栗りつを植えることになりましたが、それは人民を戦慄せんりつさせるという意味でございます」
先師はこのことをきかれて、いわれた。――
「できてしまったことは、いっても仕方がない。やってしまったことは、いさめても仕方がない。過ぎてしまったことは、とがめても仕方がない」(下村湖人『現代訳論語』)
あいこう、しゃをさいがにとう。さいが、こたえていわく、かこうしはまつをもってし、いんひとははくをもってし、しゅうひとはくりをもってす。いわく、たみをしてせんりつせしむと。し、これをききていわく、せいじはとかず、すいじはいさめず、きおうはとがめず。