【03.八佾:第08】

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子夏問曰。巧笑倩兮。美目盼兮。素以爲絢兮。何謂也。子曰。繪事後素。曰。禮後乎。子曰。起予者商也。始可與言詩已矣。
子夏しか問といて曰いわく、巧笑倩こうしょうせんたり、美目びもく盼はんたり、素そ以もって絢あやを為なすとは、何なんの謂いいぞや。子し曰のたまわく、絵かい事じは素そを後のちにす。曰いわく、礼れいは後のちなるか。子し曰のたまわく、予われを起おこす者ものは商しょうなり。始はじめて与ともに詩しを言いうべきのみ。
子夏しかが先師にたずねた。――
「笑えばえくぼが愛くるしい。
眼はぱっちりと澄んでいる。
それにお化粧けしょが匂ってる。
という歌がありますが、これには何か深い意味がありましょうか」
先師がこたえられた。
「絵の場合でいえば、見事な絵がかけて、その最後の仕上げに胡ご粉ふんをかけるというようなことだろうね」
子夏がいった。――
「なるほど。すると礼は人生の最後の仕上げにあたるわけでございましょうか。しかし、人生の下絵が立派でなくては、その仕上げにはなんのねうちもありませんね」
先師が喜んでいわれた。――
「商しょうよ、おまえには私も教えられる。それでこそいっしょに詩の話ができるというものだ」(下村湖人『現代訳論語』)
しかといていわく、こうしょうせんたり、びもくはんたり、そもってあやをなすとは、なんのいいぞや。しのたまわく、かいじはそをのちにす。いわく、れいはのちなるか。しのたまわく、われをおこすものはしょうなり。はじめてともにしをいうべきのみ。