『平和なイラク、再び』(浜砂順一著)より
天声人語
 食べ物がいかに大事かは戦時も平時も変わりない。かつて300人を率いてイラク南部で港湾建設にあたった土木技師の浜砂順一さんは記す。「食の不満からくるストレスが仕事への意欲をそぐことは、国内で飯場を張っている時に嫌というほど経験していた」。
 70年代後半、3年半ほどイラクでの建設工事の監督をした東亜建設工業の浜砂さんがその経験をつづった『平和なイラク、再び』(大村書店)には、食べ物の苦労話が多い。日本のレストランから派遣してもらった料理人たちに現地の料理人も加えての態勢だったが、問題も多々出てきた。
 たとえば弁当だ。砂漠では50度以上に気温が上がる。そこで働く人たちの弁当は乾燥のため、昼には干し飯(いい)のようになる。当初は水をかけて食べていた。日本から保湿式弁当箱を取り寄せ切り抜けた。
 水の確保も大変だ。すぐ熱湯になってしまうから氷が必要だ。近くの都市バスラから氷の塊を買っていたが、細かく砕くのが大仕事だった。日本から製氷機4台を取り寄せてしのいだ。野菜の確保など食材調達も難事だった。
 平時の300人でもそれほどの苦労だ。現在イラク国内に展開している米英軍10万人以上の食糧調達の大変さは想像できる。実際、一部前線では携行食の支給が滞っているらしい。
 この戦争について浜砂さんに尋ねると「かないませんね。イラクの人たちも一緒にやってくれた工事です。本当に心配です」と。浜砂さんは著書でも「戦争は建設の反対語であり破壊である」と建設マンの信条にたびたび言及していた。
《出典》朝日新聞 (15/03/31) 前頁  次頁