「環境にやさしい」とは
天声人語
 「環境にやさしい」といったたぐいの宣伝文句は、あいまいであり抽象的だ。使うなら根拠となる具体的な説明を添えるべし。----公止取引委員会がそんな見解をまとめた。もっともである。
 「甘いことばにだまされては駄目よ」。昔の母親は、年ごろの娘をそう諭したものだ。「環境にやさしい」「地球にやさしい」も甘いことばの系列。誠実なようで、考えてみると中身は空疎。いいことをしているような気がするものの、結局、何のことやらわからない。
 以前、イラストレーターの南伸坊さんが「地球にやさしい」に関連して、こんなことを書いていた。<「日本にやさしい」とか「東京都にやさしい」とか「南大塚二丁目にやさしい」とか言わない。なんとなくヘンだからだが、それならやっぱり、地球にだけやさしくしてるのも少しはヘンかもしれない>。言い得て妙。「やさしい」の使い方のおかしさがよくわかる。
 六年あまり前、当時の村山富市首相は所信表明演説で、「人にやさしい政治」を強調した。「国民一人一人が人権を尊重され、家庭や地域に安心とぬくもりを感ずることのできる社会を作る」。それが「人にやさしい政治」の真骨頂との触れ込みだったが、残念ながらこれも、公取委の指摘する「具体的な説明」を欠いた。
 「やさしい」とは何だろう。<周囲や相手に心づかいして、ひかえめに振る舞う様子。つつましやか>などと字引にはある。商品片手にそうしたことばを声高に唱えるのは、「ひかえめ」「つつましやか」の精神とは少々趣を異にするように思う。
 さかのぼって万葉のころ、「やさしい」は<自分の行為や状態などに引け目を感じる。肩身が狭い。きまりが悪い>という意味だった。環境を破壊して肩身が狭い。地球を汚し引け目を感じる。そう、これなら理解できる。
《出典》朝日新聞 (13/03/23) 前頁  次頁