卑怯な時代がやって来た
牧太郎のここだけの話
世の知識人はあまり指摘したくないようなので、あえて書く。
僕は中川秀直前官房長官の辞任劇に極めて大きな疑義を持っている。
「卑怯」を許すばかりか、称賛しかねない雰囲気があるからだ。
電話に隠しテープをセットして、中川さんが警察情報を漏らしたような言質を取る「元愛人」。テープは暴力団系右翼の手に渡り、写真週刊誌の手に渡り、野党の手に渡り、テレビ局の手に渡り、国民の手に渡った。
鼻の下の長い政治家さんの「わきの甘さ」は知れわたり、嘘を嘘で固める舌禍内閣の番頭が更迭されたのは当然と言えば当然だが、ちょっと待ってほしい。僕は「隠しテープ」が市民権を持つ風潮に恐怖を抱くのだ。
普通、電話で話す時、まさか「隠しテープ」が仕掛けられているなんて思わない。まして親しい間柄ならなおさらである。
疑わないことを良いことに、隠しテープをセットし、何かに利用する。これを日本では「卑怯」と言った。
1976年の鬼頭史郎判事補ニセ電話事件。京都地裁の鬼頭史郎判事補が布施検事総長の名をかたり、当時の三木首相に「ロッキード事件で田中前首相を逮捕していいのか?」と電話した。
三木さんに指揮権発動の言質を取り、窮地に追い込もうとしたのである。
事件発覚後、僕は鬼頭判事補に単独インタビューしたが、彼は「三木さんは電話の中で明確に指揮権を発動した」と強弁した。そうかもしれない。そうでないかもしれない。
でも僕は思わず「それにしてもニセ電話なんて卑怯だ」と断言した。ここだけの話だが、彼は一瞬、口ごもり「これで中学生の息子が可哀そうな目にあうのかなあ・・・・」とつぶやいた。
このころ「卑怯の行為」を社会は許さなかった。鬼頭さんだって、このくらいは理解出来た。
中川前官房長官〃追い落とし〃にはニセ電話事件と同じような「卑怯」が存在する。
野党の一部では「中川さんの首を取った」と喜んでいる向きもあるようだが、今回の辞任劇で本当にほくそ笑んでいるのは「卑怯な奴ら」である。
中川さんは辞めるべきだった。森内閣が窮地に陥っても、外交上の失態で辞めるべきだった。「卑怯な奴ら」に屈して辞めるべきではなかった。
「もし要求を無視すれば、あなたも中川さんの〃二の舞い〃になりますよ」という脅し文句が聞こえてくる。
政府は盗聴法を成立させ、卑怯な手段で国民を管理し、卑怯な奴らは盗撮、隠しテープに走る。
「卑怯な時代」ではないか。
《出典》毎日新聞 (12/10/31) 前頁  次頁