忘れないで 寅さんの平和主義
映画監督 山田洋次さん
 広島に原爆が落とされた日、僕は中国東北部、旧満州の大連にいた。少年期を植民地で育った。新聞の一面トップに「敵 新型爆弾を広島に投下」と出ていたのを覚えている。ただ、広島が地獄のような状態だったことには、想像力が及ばなかった。

 ■感じた「国の欺まん」
 小学二年の時、満州の放送局で、中国の子どもと合唱をしたことがある。
日本サクラ
満州はランよ
支郡はボタンの花の国
花の中から朝日がのぼる
アジアよいとこ楽しいところ
という歌だ。
 暑い日だった。日本人の子どもは放送局の応援間で冷たい飲み物をごちそうされ、中国の子どもは日の照りつける庭で待たされた。リハーサルでは、日本語を話せない中国の子どもが棒暗記でたどたどしく歌うのを、下手だとあざ笑った。放送が終わると、日本人の子どもはおみやげをもらい、中国の子どもは追われるようにスタジオを出て帰り始めた。その時、ふと、罪悪感がわき胸が痛んだ。
 あのような欺まんに満ちた歌を、侵略した相手の民族の子どもにまで歌わせた国家の責任は重い。これは僕にとって原体験だ。国家、国民、公あるいは健全な愛国心などという言葉を聞くたび、あの日のことを思いだし、だまされてはならないと身構える。
 僕が核兵器の人間的悲惨さを知るには、戦後の日本で広島について知る必要があった。あらゆる表現の世界で広島は描かれてきた。いわは文化としてのヒロシマは戦後のある時期、日本人が日本人であることのあかしだったと思う。

 ■変わるアメリカ映画
 映画の世界では、亀井文夫の「生きていてよかった」などのドキュメンタリー。新藤兼人監督の「原爆の子」、関川秀雄監督の「ひろしま」、今村昌平監督の「黒い雨」、あるいはアニメーションの「はだしのゲン」。黒沢明監督の核兵器への恐怖をモチーフにした「生きものの記録」と「八月の狂詩曲」は世界中の話題を呼んだ。
 一方、アメリカ映画でも冷戦時代、核の恐怖をモチーフにした優れた作品が生まれた。スタンリー・クレイマーの「渚にて」、ジョン・フランケンハイマーの「五月の七日間」、スタンリー・キュープリックの「博士の異常な愛情」、ジェーン・フォンダとジャック・レモン共演の「チャイナ・シンドローム」、マイク・ニコルズ監督の「シルクウッド」などだ。
 ところが、1990年代に入ると、アメリカ映画界の核兵器に対する考え方は違ってくる。核を人間的悲惨としてではなく、決定的な破壊力を持つ武器として考えるようになった。 例えは96年の「インデベンデンス・デイ」は、UFOでやってきた邪悪な生命体が地球を滅ぼそうとする話だ。生命体が米大統領から共存を提案され、おまえたちは死ねと返答する。そこで大統領はキレてしまい「核攻撃だ」と吐く。映画館でこの言葉を聞いた時、驚いて腰が抜けそうになった。
 98年の「ディープ・インパクト」と「アルマゲドン」も地球を襲う巨大物体に核弾頭で対抗する話だ。冷戦が解消し核戦争の恐怖から人類が解放されようとした時代に、ハリウッド映画にかくも無神経に核爆弾が使われる状況をどのように理解すれはいいのか。世界唯一の被爆国である日本でもこれらの映画は大成功を収めた。なぜこの国の観客は、核爆発のシーンで一斉に席を立つという行動に出なかったのだろうか。

 ■優しさどこへいった
 寅さんが誕生したのは69年の夏。日米の軍事同盟に反対する学生運動で騒然としていた時代だ。寅さんはハリウッドのブルース・ウイリスやシュワルツェネッガーのように筋肉隆々で勇気にあふれた人間とは逆の、何をやらせても駄目な人間だ。意気地がなく、けんかは嫌い。彼の望みは人々の幸せに自分が役立つこと。といっても人類の危機を救うわけではなく、行きずりのお年寄りから「寅さんありがとう。今日は楽しかった」と感謝される言葉を生きがいにできるような男だ。だから、寓さんは安っぽくて権力も名声もない男だが、純正な平和主義者だと僕は信じている。
 「インデベンデンス・デイ」も「アルマゲドン」も最後にUFOや巨大すい星に突入するヒーローが登場する。公共の利益のために命を犠牲にすることは英雄的で美しいと描かれたこの場面で、ヨーロッパの映画館では時々失笑がおきたそうだ。日本の観客はむしろ感動的な気分に包まれていた。巧妙に演出されたセンチメンタルな感情の誘導によって、核兵器の本質的な問題、その人間的悲惨さについての理性的な判断が吹き飛んでしまうのだ。
 核兵器もやむを得ない、という言葉だけは日本人は決して言ってはならないのではないか。それを忘れないためにヒロシマの日があるのではないか。
 戦争の人間的悲惨について思いをはせることができる想像力と優しさを日本人は持っていたはずだ。国民的ヒットとなった木下恵介監督の「ニ十四の瞳」という映画で、戦争は悲惨だ、絶対にしてはいけないと観客が涙にくれたあの時、日本人は限りなく優しかった。木下監督は血だらけになって戦う勇ましい男を描くことはと決してしなかった。
 戦争が起きた時に飛んで行って仲裁する。飢えた人に食べ物を差し出す。地球上に学校に行けない子供がニ億人以上いて売春による性的被害を受けている少女が百万人以上いるといった不幸に国をあげて悲しみ、その対策のために懸命の努力をする。そういったことを真の国際貢献と考える政府を、僕たちは持ちたい。
 ヒロシマは、人間が作り出した悲劇だ。そして、年月を費やして生み出した核兵器廃絶の理想に裏打ちされた文化だ。それが風化するかしないかは、日本人のアイデンティティーにかかわることである。世界中の核廃絶を願う人たち、戦争を心から憎む人たちの期待を、ヒロシマを風化させることで裏切るようなことがあっては決してならない。
《出典》朝日新聞 (11/08/07) 前頁  次頁