再生工場ワセダ版
こちらも野村監督マジック
 もう一人の「野村監督」が決進撃を続けている。東京六大学野球で1993年の秋季リーグ以来、11季ぶりの優勝を決めた早稲田大学野球部の野村徹監督(62)。昨年11月、低迷していた早大野球部の藍督に就任して新風を吹き込み、初めて迎えた春季リーグで破竹の8連勝。単独首位を狙う阪神の野村監督が一進一退しているのを尻目に、29、30日の早慶戦で早大初の全勝優勝を目指す。 【大石 雅康】

※どん底からの脱出
 東京の最高気温が31.9度と、5月としては観測史上最高を記録した25日。野村監督は真つ黒に日焼けした顔に真っ白い野球帽をかぶり、東京都保谷市の早大東伏見グラウンドに姿を現した。自らバントノックをして守備練習。外野からの連係プレーを細かくチェックし、野手をマウンドに集めて指示を与える。ブルペンに足を運び、投手陣の仕上がりを見る。とにかく、よく動く。
 早大野球部は前回の優勝以降、96年春季の2位以外は毎季、Bクラスだった。昨春は初の9連敗を喫して5位。同秋季は15年ぶりに、東大にまで勝ち点を奪われた。どん底の状態から抜け出し、優勝を果たした「野村マジック」とは。

※秘けつは意識改革
 「監費になって、まず、3カ月間は選手たちと一緒に寮住まい。毎日、ミーティングをして、僕がおかしいと感じることを選手と話し合った。最初はスポーツ集団ではなかった」。野村監督は「勝つためには何が必要か」を説き続け、意識改革を徹底した。「自主性と、好きなことをやるのは違う。仲良しクラブでは勝てない。健康体なら朝飯がうまいはずだが、みんな食欲がない。夜中にラーメンをすすっていれば、朝飯もうまくないでしょう。
 練習中に『何か違う』と感じたことを、彼らの生活にも感じたんです」。生活態度を改めるのは、自分のため、野球のためだと理解したとき、選手たちは「いい集団」になってきたという。

※理論家の名捕手
 大阪府立北野高校から早大入り。内野手から捕手に転じてレギュラーの座を射止め、60年秋季にはリーグ優勝した。卒業後は大昭和製紙に入社し、70年に監督として都市対抗野球で優勝。その後、近畿大付属高校監督を務め、88年に春夏連続の甲子園出場に導いた。小学生時代を過ごした京都府網野町は阪神・野村監督の出身地でもあり、ポジションも捕手と共通点がある。練習を見に来ていた元早大野球部監督、石井連蔵さん(66)は「努力を重ね、理論をよく勉強するタイプで、早大野球部史に残る名捕手だ」といい、「思い通りにやれば彼の良さが出る」とエールを送る。

※ー球の怖さ
 打撃練習中、外野の控え選手がチームメートのプレーを見ず、さぼっているのを野村監督は見逃さなかった。すかさず呼び寄せ、「うまくなりたくなければ、グラウンドから出ていけ」と一喝した。練習後、全員を集めて説く。「うちは他大学と比べて、うまいとは思わない。一生懸命やったから勝てたんだ。努力しているやつが好きだ。そういう選手にチャンスをやりたい」。この考え方は、今シーズンの選手起用でも貫かれた。
 ここまでくれは、期待は74年のりーグ史上5回目、早大としては初の全勝優勝にかかる。野村藍督は「あと2勝とか、記録とか言われるけど、慶応に勝って初めて、対校戦に勝てたと言える。だが、早慶戦には一球の怖さがある」と言いながら、グラウンドにもう一度、目をやつた。
《出典》毎日新聞 (11/05/27) 前頁  次頁