創造へ奮い立たせる水の命
五十鈴川 安藤忠雄
 小学生の時、学校から初めて伊勢を訪れた。その頃、伊勢は関西では定番の修学旅行先であった。どこか現実離れした世界に心惹かれ、数年後、友人と再び伊勢にでかけた。偶然にも、二十年に一度の式年遷宮が行われた年だった。
 当時は、建築に特別な興味をいだいていなかったが、伊勢の社の簡潔な美しさは私に力を与えてくれた。
伊勢神宮の素木づくりは、日本人の建築観を現在でも圧倒的に支配している。
 若い私も、建て替えられたばかりの神殿に感動したが、むしろ境内を流れる五十鈴川が心に強く焼きついて離れない。
 五十鈴川に沿ってひたすら歩いた。それは流れを見た、というより体験したといってよい。森閑とした周囲の森が運んでくる冷たい風に触れながら、まるで水が語り掛けているかのようなせせらぎを聞いた。
初めて、水に命があるということを意識した。それは幼い頃からの私の大切な遊び場であった淀川の水の圧倒的な生命力とは別の神秘的はものであった。
 水はすべての生命の源であり、我々の想像力を刺激し、あらゆる可能性を喚起する不思議な力がある。水そのものは無色透明であるが、限りなく多彩で、射し込む光の加減や、周囲の草木や水底を映し、水の色は常に変化する。水は何かを映し出す鏡面でもあり、人間の精神に深く関わってくる。
 建築家となり、いつしか水を中心とした建築をつくるようになっていた。
十数年前、京都の高瀬川沿いにタイムズという商業建築をつくった。それまでこの川沿いに並ぶ建物は、流れに背を向けて建っていたが、私は高瀬川を取り込んで川と一体になった建物をつくろうと考えた。水の流れを見ているだけで十分な建築にしたいと思った。危険を理由に、人を水から遠ざけようとする諸規制を乗り越えて、建築と高瀬川の間に境界を除き、直接、水に触れられる親水広場をつくった。
 水や自然と共存して生きる日本人独特の生活観も科学技術の恩恵に浴するなかで変貌し、水を観察する力や水への畏敬も矢われ、水がもつ精神性を感じ取る感性がなくなってきたことへの抵抗の表現でもある。現代建築をとおして、人と水のあり方を問い直したかったのである。
 ものをつくっていると、時に挑戦する勇気を失うこともある。そんなとき、五十鈴川を見に行くと、原点に立ち返ったような落ち着きを取り戻し、真に人間の五感に訴えかける場の創造に向けて気持ちが奮い立つ。
《出典》朝日新聞 (10/11/26) 前頁  次頁