住まいを考える(免れた解体)
建築家 伊東豊雄
前回は愛すればこそ家族自らによって解体せざるを得なかった家を紹介しました。今回はその逆です。
一度は解体を決意しながら生き永らえることになった勝山邸を紹介しましょう。
この住宅は23年前、東京都内の住宅地につくられました。86平万㍍(約26坪)の土地に建てられた延べ床80平万㍍(約24坪)の小さな木造2階建ての住宅です。
当時勝山さんのご主人は大企業のビジネスマンで、若い夫婦と小学生の男の子2人という標準的な家族構成の家でした。
わすか4.5㍍(2間半)しか間ロがないにもかかわらず、その中央に玄関があり、ドアを開くといきなり24平方㍍(15畳)余りの広間(リビング及びダイニング)が広がっています。
外壁は真っ黒に塗装されているのに対し、内部は純白でミニマルな空間です。
エントランスと向かい合う正面中央に設けられた階段にはスカイライトからの光が降り注ぎます。階段両脇の壁は黒く塗装され、外壁がクラインのつぼのように回り込んで侵入したように見えるので「黒の回帰」と名付けられました。

このように開ロが小さいにもかかわらず、中央にあえて階段を設けたのは、シンメトリーを貫くことによっていかに小住宅であっても背筋をピンと張ったような張りをこの家に与えたかったからでした。
しかしその結果階段の両側は1.8㍍(1間)幅しか残らず、キッチンや夫婦の寝室はうなぎの寝床のような部屋になってしまいました。
とりわけ夫婦のためのベッドには足下の方からもぐり込むしかない厳しい設計とならざるを得ませんでした。

20数年の歳月が過ぎ、小学生だった子供たちも自立し、外で別の家庭を構えるようになりました。
1年ばかり前、隣接していた両親の家が空いたので、夫婦は長年住んだ家を解体して土地を売却し、そのお金で両親の家を建て替えて老後の住まいをつくることを一度は決断したのです。
ところがこの決断に家を出ていった子供たちが反対しました。そして長男は自分の勤める会社に社宅としてこの家を買い取ってもらい、自ら再び住むことになりました。

勝山家の人々はこの小さな家を本当に愛して住んでくれたのです。新しい家の設計のために10数年ぶりにこの家を訪れた私は、手づくりの家具も照明器具も出来上がった時と少しも変わっていないのに驚きました。狭さと機能的な不便さにめげす、この家族の人々はこの家の空間をこよなく愛してくれていることが一瞬にして理解できました。

この空間への愛情、によってこの家は死を免れたのです。
《出典》毎日新聞 (10/01/24) 前頁  次頁